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新聞へのアクセス
紙の情報を、検索できる情報へ変える。読んで終わる記事を、使える記録にする。
名前の意味
その名前は、説明そのものだった。 インターネットへアクセスするためのセンター。 世界へつながるための入口。
まだインターネットが日常語ではなかった時代、その名前には野心があった。 人はもっと情報へ届けるはずだ。 もっと早く新聞を読めるはずだ。 もっと自由に検索できるはずだ。 もっと自然に世界と電子メールでつながれるはずだ。
IACは、単なる技術会社ではなかった。 それは、アクセスを作る会社だった。 ポニーのために道を歩いた少年の原型が、日本の初期インターネットの中で大きくなった姿だった。
アクセス
新聞を探せること。メールを送れること。BBSに入れること。 それらは、当時まだ特別な体験だった。
今では情報はあふれている。 しかし当時、情報は紙の中、会社の中、会員名簿の中、新聞の束の中、 そして電話回線の向こう側にあった。 届きたい人はいた。けれど、まだ十分な道がなかった。
Internet Access Centerは、その道を作ろうとした。 アクセスとは、単に接続することではない。 人が必要な情報へ届き、自分の仕事や判断や生活に使えるようにすることだった。
IACは、会社名ではなく、入口の名前だった。Internet Access Centerの記憶
Brad Bartzにとって、アクセスは人生を通じて何度も形を変えて現れる言葉だった。
子どものころは、ポニーへ届くための道だった。 若い営業時代は、相手へ届くための声だった。 日本では、新聞、検索、電子メール、ドメイン名へ届くための仕組みだった。
そして後には、ABC Solarで電力へのアクセスになり、FREDで安全へのアクセスになり、 AIで長く眠っていた日本語ドメインの夢へのアクセスになっていく。 IACは、その長い線の中心にある名前だった。
オフィス
モデム、電話、CRT、フロッピー、新聞、資料、名刺。 IACの未来は、雲の上ではなく、机の上にあった。
今のインターネットは、軽く、速く、見えない。 しかし当時の接続は、もっと物理的だった。 電話線をつなぎ、ディスクを扱い、画面を見つめ、回線の音を聞く。 うまくつながるかどうかには、いつも少し緊張があった。
それでも、その不完全さの中に喜びがあった。 接続できた。 メールが届いた。 記事が見つかった。 画面の中に、遠くの世界が現れた。
新聞と出版
IACの大きな仕事の一つは、紙に閉じ込められていた情報を、 探せる、使える、届く情報に変えることだった。
英字新聞、ニュースレター、会員向け資料。 日本の国際社会には、多くの価値ある情報があった。 しかし、それらは紙で届き、読まれ、積まれ、忘れられていくことが多かった。
IACは、その情報にもう一度命を与えようとした。 検索できるようにする。 オンラインで読めるようにする。 必要な人が、必要なときに戻れるようにする。
IACが作ろうとした入口
Internet Access Centerの夢は、単体のソフトウェアや通信契約だけでは説明できない。 そこには、情報へ届くための複数の入口があった。
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紙の情報を、検索できる情報へ変える。読んで終わる記事を、使える記録にする。
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人が必要な情報へ、自然な言葉で近づけるようにする。
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オンライン上に、人が読み、書き、集まる場所を作る。
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日本と世界の距離を、文字で縮める。電子メールは新しい線だった。
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接続は思想だけでは動かない。電話線、機器、設定、現場が必要だった。
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IACの本質は、まだ普通ではない未来へ、人が入れる入口を作ることだった。
NTTと全国接続
IACの物語には、日本全国から高速にインターネットへ接続するという大きな構想もあった。
ダイヤルアップPPPによるインターネットアクセス。 日本全国から、より速く、より実用的に接続する。 その構想は、単なる技術販売ではなく、日本の情報環境を変える可能性を持っていた。
Bradは、Compaq Japanの社長であるVic Murai氏の紹介により、 NTTの社長との場へつながっていった。 そこには、日本の通信インフラと、IACのアクセスの夢が交差する瞬間があった。
戦争、台風、地震、ゴジラ、暴動、その他の場合……Act of Godzilla Clause
IACの交渉には、Bradらしい遊び心もあった。
NTTとの契約交渉の場で、不可抗力条項に「Godzilla」を入れた。 戦争、台風、地震、Godzilla、暴動、その他の場合。 その一言は、その場に笑いを生んだ。
それは単なる冗談ではなかった。 緊張したビジネスの場に、人間らしさを持ち込むBradの感覚だった。 技術、契約、通信、インフラ。 そうした硬い話の中にも、創造性とユーモアが入っていた。
チーム
IACの中には、スタッフがいた。 電話に出る人がいた。 説明する人がいた。 動かす人がいた。
新しい会社には、いつも少し混乱がある。 まして、インターネットそのものがまだ怪しく見える時代である。 しかし、その混乱の中にしか生まれない活気もあった。
日本人スタッフが電話に出るとき、IACを「あやしい」と読んだ。 それは冗談であり、反抗であり、誇りだった。 その瞬間、IACはただの会社ではなく、文化になっていた。
Internet Access Centerの記憶
IACは、初期インターネットの道具と夢が重なった場所だった。 そこには、通信インフラの現実と、情報へ届きたい人間の願いがあった。
あやしい会社へ
IACは真面目だった。 でも、真面目すぎる会社ではなかった。
まだインターネットが怪しく見えた時代に、 自分たちが「あやしいインターネット会社」であることを笑って受け入れる。 そのユーモアには、新しいものを作る人たちだけが持つ強さがあった。
次の章は、「あやしい会社」。 電話の向こうで生まれた、小さな冗談。 しかしそれは、IACの精神をいちばんよく表す言葉だった。
次の章
スタッフは電話に出るとき、IACを「あやしい」と読んだ。 Bradは、その美しい反乱が大好きだった。
新しいものは、最初は怪しく見える。 しかし、未来はよくその怪しさの中に隠れている。 IACは、その怪しさを隠さなかった。 むしろ、少し誇っていた。